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提案・研究会

トップページ提案・研究会愛知のひとまちを良くしたいWS第2回

第2回 「人にやさしい街づくりの推進に関する条例」の制定に至るまでの
     愛知の運動と、街の設えの変化

■とき:2003年8月28日(木)夜6時50分〜8時50分
■ところ:あいちNPO交流プラザ 会議室A
  (名古屋市中区三の丸3−2−1 東大手庁舎1階)
■参加人数:28名
■お話:杉江徳長、森美親、星野広美
■配付資料:
・第1回WSの議事録
・レジュメ(杉江)
・条例の目的や目指すべき水準について(資料1)
・ハートビル法と条例の対象施設の比較表(参考資料2)
・ハートビル法の利用円滑化基準と条例の措置基準の比較表(参考資料3)
・対象者別に整理した特色のある措置基準の状況(参考資料4)
・21世紀あいち福祉ビジョンの施策体系(参考資料5)
・愛知の「ひとまち」を良くしたいワークショップのお知らせ

はじめて電動車いすで名鉄を利用したのは10年前

愛知の重度障害者の運動は・・・

外に出よう、という運動はいまも変わりない

AJU作成の車いすマップは全国的にみても早い取り組みだった

みなさん、真剣です、聞き入っています

ディスカッション・・・基準が工夫の妨げになることもある


ディスカッション・・・交通バリアフリー法改正、法体系の変化も見逃せない

 


<人まち条例ができる前とできてから>(杉江)
  昭和40年ぐらいは障害者施設といっても、名古屋市内には緑風荘という施設がひとつあるだけで、その施設をでて、その後の行き先はなかった。
半田駅を車いすで利用するときは、事前に連絡が必要だった。
 名古屋駅で降りるときは、当時スロープはなく、電動車いすで駅を利用すること自体少なく(結果として)、そのため駅員に経験はなく、何回か利用するうちに男の駅員二人に手伝ってもらえるようになった。最寄りの駅を利用することができず、わざわざ遠くの駅まで行ったことがある。
 「移動」で感じることは、車いすの障害者は荷物用EVや通路を利用させられることで、一般の人と同じではない。名鉄名古屋駅では、車いすは駅長室から行くが、場所が非常にわかりづらいところにある。
 ひとまちの条例ができて、スロープが設置されるようになったり、だんだん変わっていった。駅にはEVが設置され、一般と同じルートで行けるようになった。障害者トイレも増えてきた。何かをつくるときは、障害者を含めていかないと、障害者は使えないモノができてしまう。

(以下、森)
 障害者運動としては、脱施設、外にでよう、障害者トイレをつくろう、介助サービスや移動サービス等を要求してきた。
 条例ができて、よくなってきているが、細かい点でサポートが必要だ。障害者トイレに鍵が付いていなかったり、手すりの付け方が逆だったりして使えない。名鉄でいえば、福祉大の最寄り駅では階段しかなく、駅員も配置せず、定期も売ってくれない。人権問題ではないか。

<障害者運動と条例ができるまで>(星野)
 どういう背景で条例はつくられてきたか?
 全国的に見ても遅れてはいない、愛知の重度障害者の20年間の運動は何をしてきたか?
 昭和48年、仙台の車いす運動(朝日新聞社が障害者へ呼びかけたもの)から始まった。仙台に集まってきた障害者が、それだけで終わってしまっては何もならない、参加した人が地元に持ち帰って、それが「運動」につながっていった。昭和50年頃から、名古屋市がAJUに委託してつくっている車いすマップは、全国的にみても早い取り組み。これは「運動」ではないが、名古屋市が車いす障害者の外出要求にこたえたモノ。3年置きにつくり直している。
  AJUは、地域で生活するための障害者の自立生活や生活訓練の場をということで福祉ホームをつくった。これには、障害者だけではなく支える専門家集団がいた。一緒に作業していくうちに、「何がよいのか」ということに気づいていったのかもしれない。
 いくつかある車いすセンターは、外出支援のための措置。それ以外では何があるかよく見えてこない。他の障害については? 運動は?
  行政側からいうと、福祉の街づくりの要綱は全国的にあった。要綱は条例に比べると内容は緩やか。昭和50年代のはじめ、福祉の街づくり条例をつくった町田市が話題となった。町田市は、「障害者のことは障害者に」。車いすの職員を採用した。
  1981年国際障害者年で、行動計画がつくられ日本にも適用され、政府は方針をつくったが実際には何も変わらなかった。当事者から、きちんと要求はされていたのか?要求されていたなら、変わっていたのではないか?
  今の福祉の街づくりは、高齢者の増加で街をどうするか?といったときに、これまでの障害者運動の取り組んできたものが重なった。高齢者は運動というものはしない。
 条例の策定にどこまで「声」が届いていたか?当事者の声を届けることが大切ではないか?運動側からみた条例は、どうあるべきか?
 要求はすべては通らないので、工夫が必要。スペシャル・ニーズにどうこたえていくか?多額な経費・手間がかかる場合はどうするか?
  運動の力点を「一般の人と同じ暮らしができること」とするなら、周りの人にそれがわかるように、手間がかかってもひとつひとつ説明しないといけな
い。それを条例に、どう反映させていくか?

(以下、参加者から)
 企業に行ったとき、「要求」というと、話を聞く前にお金がかかることと思われ、ろくに話も聞いてもらえないが、話がわかるとそれならできるというところもでてくる。予算があることなので、予算の中で何ができるかを、要求する側も考える必要がある。
 ハートビル法のEVについて等、法に書いてあるばかりに、工夫(使い勝手の)ができないことがある。


(以下、質疑応答)
●このWSのテーマは、条例を改正するにあたって、当事者がどうしていくか?だったと思うが
条例をつくったときはどのようなことをしたのか?
検討委員会に入っている人の所属や割合は?
アンケートを取って、それを検討委員会にというのは、どうか?
→車いす、聴覚、視覚障害の人からのヒアリング、「行動」を調査した。
条例をつくったときは、大学の先生、企業、障害者団体がだいたい同じ割合だったが、検討委員会では、大学の先生が増えている。
その分障害者が減った。スケジュール的に、アンケートをして・・・の余裕はない。

霞ヶ関の中では、「施設から地域へ」という考えがあったが、今の厚生労働省は福祉計画に街づくりを入れるのはどうかということだった。
1993年あいち8ヶ年福祉計画ができた。その中に福祉ではない項目で、はじめて「ひとまち計画」が書かれた。

指針といっても、あまり効力はない。
つくるなら条例ということで、人にやさしい・・・の条例はできた。

●交通バリアフリー法等、法体系が変わってきている
要求はちょっとずつ変わってきているのではないか?
その背景を聞きたいので、今日参加している車いすの人たちに、「街にでるきっかけ」を聞きたい。

(以下、車いすの人たちのひとことから)
・福祉情報誌と出合って、当事者が体験を紹介。
・施設にいた。外に出るのが怖かったが、AJUの人に出会ってから。
・トイレ研究会の活動参加。
・就労で受け入れてくれるところはあったが、もっと、変えていきたかった。
・交通事故で施設にいたが、風呂は週2回、外出は届け出の生活で、家に帰ってみようとしたとき、今まで一人でできたことができなかったことに気づいた。電車に乗って帰るということが同じようにできなかった。

おしまいに、新しく参加した人の自己紹介があり閉会。

(記録:橋本知佳)

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